デス種細やかな考察

その1「ユウナをめぐる考察」

現実の危機を回避するためにも「アスハ家の名前」という力が必要だった(実際どうだかはさておいて)セイラン家の男・ユウナ。しかし14話でのカガリ強奪では見事なまでのヘタレに描かれてしまった彼について少し考えてみる。

個人的な意見だが、ユウナはもっと理知的かつ温厚な性格と優れた政治手腕を持つ人格者として描かれるべきではなかったか。もちろんカガリもユウナの能力や人格を認めた上で、本当はアスランと連れ添っていたい感情とオーブの現実の間で揺れ動く、という心情を見せて行く、と。

以前の日記で触れた通り、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読了した身としては、どうせ昼メロをやるのであればユウナをアルベルトにしてしまえば面白くなったんじゃないかと思うのだ。
「理性・現実」を象徴するユウナと「感性・理想」を象徴するアスラン、そしてその狭間で選択を強いられるカガリ、という構図は、ドラマとしてさぞかし面白くなろう。
政治をとるか、愛を選ぶか、というドラマを、日に日に激化する世界情勢に絡めて描くことで、それぞれの人物に苦しい試練を与える。その結果が納得のいくものであるならば、視聴者も文句は言うまい。
もちろん、その答えは延々と引き延ばしてもいい。「地球側との同盟締結を決定」という筋書きは変更しなくてもいい。そういう状況下で、ユウナの発揮する手腕を横目にしつつ、アスランとの遠い過去に涙する・・・そんなカガリの姿というのも、相当面白い気がする。

その2「破戒者キラ」

キラが嫌い。もうどうしようもなくイヤ。前回でほぼ決定的になったが、こやつは何を見ているのだろうか?

前回のカガリ説得だけではない。その前のマリューとの会話もそうだが、三隻同盟周辺の人間の世界観と幸せだけが全てで、それらを邪魔するものは圧倒的な暴力で滅ぼそうとする悪魔。

実は、こういう価値観の人間を何人も見たことがある。幸い圧倒的な暴力を使える人間はいなかったが、結局限られた世界だけの幸せのためになら公益すら踏みにじる理想が許されるということなのだ。

以前若い女の子に聞いた話にあったことだが、その人の学校の教授が「これからは個人の時代」と言っていたというのだ。俺にはそれが引っかかるのだが、種・デス種におけるキラは「公と個の関係性を無視した個人的正義の時代」のシンボルに見えて来ていて、俺の感じた引っかかりとの繋がりを感じずにはいられない。
「世界の明日なんて考えない」「個人の自由は絶対だ」よもや、それが支配する世界観の作品が現れようとはね。

おかげでイイ感じに物語は崩壊してきているのだが。

ついでに書こうか。カガリ強奪に見え隠れするキラのやり方は「我慢嫌い」のやり方だ。ストレスからは逃亡することしか考えていない。試練に立ち向かうことを否定する物語をやろうというわけではあるまいな?