SEEDはどうして批判されるのか

批判の話が出ると「じゃあほかはどうなんだよ!」という人が出てくるよな。他の作品と種の決定的差はなんでしょう?ファーストはもう語るまでもないとして、Zは破綻している部分も結構あるが、それをも超える異様さを持っていたように思える。エキセントリックな人物描写とかね。メカも当時としては斬新なものが多かったんじゃないかと思う。
ZZは最終的にZを引きずった形になっている(作品の方向性が変わってから特に:Zの続編だからとかではなく)が、一応の落とし前はつけてくれていた。ジュドーの心情もわからなくないし。そりゃ修正したくもなるわ。
逆シャアは・・・アレでいいんだよ。そういえばあの場にユウ・カジマもいたんだっけね。関係ないけども。
0080は戦争のある日常を活写している名作。0083はもう勢いが全て。終盤の作画はもう神というより鬼。あとデンドロビウム。08は少々アレだが、話はシンプルできちんと決着がついてる。ついでに言うと10話のグフの描写は神。俺の中ではガトー駆るGP−02Aを超えたかも。
F91はいろいろともったいない。いい作品だけにね。
Vはもうとにかく凄まじいまでのカルマの集積に絶句。異常性のカタマリ。アレは後々じわじわと効いてくる種類のものがある。
Gはいうまでもない。俺なんかよりずっと参考になる意見がそこら辺中に転がってる。俺も毎週楽しく観ていた。ランバーガンダムが好きでした。アンドリュー・グラハムもな。
Wは究極まで高められたエキセントリックなムードが楽しい。破綻寸前の空気が充満しているから観ていてハラハラする。世の女性ファンがいらん妄想に走るのも頷ける内容であった。アレを素のセンスで作れるスタッフがいるのが凄い。
Xは作画(特にメカ描写のバンク)など問題も多いけど、物語や人物描写が良い。派手ではないが、独特の優しさに満ちていると思う。それと、Wとは逆にまともな人間が豊富に出てきて、ちゃんとした大人が立派に描かれているようにも思えた。個人的に好感が持てたのは、ジャミルも成長していたということ。トラウマを克服し自分の目で「答え」を探すことを最後までやめなかったというのはよかった。あとお約束のテクスさん最高ね。とりあえずコーヒー飲もうね。

ターンAは未見なんだよなぁ・・・
俺が各作品について思うことを書くとXが一番長くなるな。あの作品について語ると非常に落ち着くんですわ。

各作品とも、欠点こそあれ長所はきちんと存在する。それぞれのファンが欠点を頭に入れた上で長所を愛するという状態だ。非常に健康な流れだと言える。Xのファンなんかは特にそうだよな・・・みんな落ち着いてるし。

種と他の「ガンダム」作品の違いはそのあたりにある気がする。作品のいいところも悪いところも噛み締めて、それでも良さをアピールできる他作品のファン(特にXはそうだなぁと)と、悪いところを勝手にねじ曲げてでも「素晴らしい」と絶賛する種ファン。しかも、種の欠陥は致命的だ。昨日分でも書いたような問題もあるし、種批判はこれまでのガンダム作品における批判とは本質的に別物なんじゃないだろうかと俺は思う。もちろん、種とこれまでのガンダム作品も本質的に別物であり、存在も別格。

だから種は叩かれるし、叩かれて当たり前。
ちなみに、種ファンの思考や人格を疑う人が現れるのは何故かというと、種ファンの言い分が正気の沙汰ではないからだ。種は福田監督などのメインスタッフも驕ってるし、ファンも驕ってると思う。そりゃあ人格否定したくなる奴だって出てくるだろうよ。それくらい異常な世界を形成しているんだよ、種ファンたちは。

追記。
「他の作品と比較して優劣をつけようとするな」という台詞は聞き飽きた。他の作品が面白く作られていて種が面白く作られていないだけだ。他がちゃんとした作品を作っているときにくだらんものを作ると、そういう扱いを受ける。種はその代表格となったわけだ。
他作品との比較に耐えるものを提示できれば、比較など恐れる必要はないはずだ。