どうでもいい話だが

種=「機動戦士ガンダムSEED」シリーズが批判されるにあたって、「存在意義ナシ」「メインスタッフ(特に監督夫妻)は今後二度と創作活動をするな」という趣旨の叩きがなされる場合がある。それは何故か。
それは「ガンダム」という名前には、特にメインであるテレビシリーズにおいては「ロボットアニメ」という種類の映像作品、及びそれに類する一連の作品群の中でのフラッグシップとしての責任を背負わされるという重みがあるからである。何故フラッグシップたりえるかについては割愛するが*1、フラッグシップ的存在がいろいろなものに与える影響などの諸々の事情を考えると、今後のためには出来れば駆逐しておくに越したことは無い。厳しいかもしれないが、ガンダムSEED的な作品群がロボットアニメという分野でのスタンダードになってしまうというのは、実はいろんな意味で結構厄介な問題なのだ。

*1:その理由がわからないのであれば、1979年放送の「機動戦士ガンダム」がその後周囲にどれだけの影響をもたらしたのかを振り返ってみることをオススメする。その影響力によって「フラッグシップとしてのネームバリューとそれに伴う責任が発生する」のである。