閃光の先行入力

出来の悪いものを批判して見せると、その対象について「あなたに理解できない面での良さがあるんじゃないんですか?」と、さも俺の価値観が狭く貧しいかのように言う人がいるが、俺に対してのそういう見方云々以前の部分で薄気味の悪いものを感じる。「ファイナルファンタジー」とか、「ガンダムSEED」とかね。

どうも俺には個人単位任意での選択肢、言い換えるなら「本人の自由度」が減っているように見える。それで平然と「自由」を口にしたりするのが不思議でならない。思ったほど自由に物を選べてない背景には、存在する選択肢のいくつかを隠蔽する何かが作用しているという現象もある。結果、その人の価値観の「横幅」に大きな制約が生じるのだけれど、本人が幸せならそれでもいいんだろうね。
もっとも、それは目に見えない柵の中の自由、家畜の自由でしかないのだけれど。