不完全な理論についての断片的覚え書き

  • 「〜 is approaching fast!」と言われて頭の中にサイレンが鳴り響く人はアンコモン、またはその傾向にある人。わからない人はコモン。わからないことが罪とは思わないが、わかる奴を差し置いてモノを語る資格はないと思う。
  • ちなみに、この一文から「ケツに振動」を想像した上、「warning!targets approaching!」ぶうぉぉぉうぉぉぶうぉぉぉうぉぉ〜という警報を連想、さらに「オン・マリシエイ・ソワカ」の梵字表示と共に出る警告メッセージまで一気に思い出した挙句「えねみぃでぃてくてぃーぶ!すてーんばぁいふぉーばとー!」とネイティヴに喋るアレまで出てくる俺は最強クラスだと思う。ちなみに後ろ3つはそれぞれ「ナイトストライカー」「斑鳩」「ウルフファング」である。最初の「本家」を含め2つ3つくらい知っててくれないとゲームの歴史を語る上では困るがどうか。(他にもあるよな、いろいろ)
  • 「個人の嗜好に合わせて多様に進化したのが今のゲームだ」と本気で思っている人は冗談抜きでゲームを知らな過ぎると思う。それ自体に問題はないが、知っている人間の言い分を「自由」という単語で押さえ込む権利はないような気がする。諸兄らの自由はゲーム世界の不自由を招く。もし、ゲームを知っていて言うのであれば・・・あなたには愛がないのだろうか。
  • 俺はゲームもアニメも好きだが、ゲームとアニメは混同されるべきではない。両者のハイブリッドはアリだと思うが、半端なことはすべきではない。
  • ストーリー重視型のゲーム(RPGやADVなどによくあるスタイル)を作る際の義務:しっかりした物語を語ること。内容はありきたりな古臭いものでも良い。新しければなお良い。
  • ファイナルファンタジーVIII」に感動した人はゲームを創る側に回ってはならない。
  • ギャルゲ−、エロゲーの中には、家庭用ハードで7桁級のセールスを誇るタイトルを凌ぐ内容のものが少なからず存在する。例えば初代「ときめきメモリアル」があそこまで支持されるのは「ウィザードリィ」に匹敵するシステムを持つが故である。学園ラブコメか、剣と魔法の探索かという背景世界は違うが、ゲーム的には近い。(これを継承するのがあの「高機動幻想 ガンパレードマーチ」である)
  • 「FFVIII」の何がいけないか答えられるか?:可能。人の生き死にや世界の存亡を賭けた戦いと、登場人物の救いようの無い頭の悪さ(とそれに伴う行動の馬鹿馬鹿しさ)がちぐはぐ。代表例としては、魔女イデア暗殺に伴うアーヴァインの言動。意気揚揚として(これ自体アレだが)任務に赴いておきながら、いざ狙撃の段階で「この銃弾が歴史にどんな意味を残すのか想像するだけで怖い」うぬぼれるなよ+今更言うなよ、の2段ツッコミ。そんな感じのちぐはぐな人物・状況描写が最後のディスクまで続いているのは物語として欠陥がある。(蛇足:同じスナイパーなら漫画「レッドアイズ」のバロスの方が遥かにいいと思うが、何か?)
  • 上記のような欠陥だらけの物語が不当に高く評価されている反面評価の低い作品も多いという現実を見るに、みんなモノを見る能力が丸っきり抜け落ちてないか?いや、冗談でなく。
  • 「自分の好きなものが王道とか主張するなんてカッコ悪いです」と俺に言った人へ反論:好きかどうかでは判断していない。
  • ゲームはまず初めに「ゲーム」たるべき。操作の楽しさ、攻略やテクニックの開発の深さ、そういうものを味わえるゲームが王道、主流で、上述の「ストーリー重視型」はあくまで傍流。これが入れ替わることは決してありえない。主流・本流自体(=「本質的な部分」)が「ゲーム」という概念に反してしまった場合それはもうゲームではない。そしてそれが「ゲーム以上の何か」たり得る事も決してない。受動的娯楽より能動的娯楽の方が優位と定義するのは、人間が植物ではなく動物であることの証明であり、同時にゲーマーが文化的に何者かの家畜に成り下がらないための最後の一線である。昨今のゲーム系同人の方々には、失礼ながら家畜化した人がしばしば見受けられる。
  • 前項の定義では「音ゲー」は正しい。その意味で音ゲーというジャンルを否定する理由はない。ただ、ある「角度」で見た場合プレイヤーが受動的になっている面もあると思う。
  • 同じ定義で「斑鳩」は最も新しい「正しいシューティング」の代表ではなかろうかと思う。が、こんなことを言われても作った側は迷惑かもしれないな。
  • シューティングは衰退ジャンルだが、「ゲームを遊ぶ」という意味では最も明解なジャンルだ。特に縦、横スクロールSTGをコンティニューなしでクリア出来るようになるとゲームとの付きあい方が見えてくるので、初心者にはオススメ。差し当たっては「エスプガルーダ」(出来れば「エスプレイド」だが)「斑鳩」「ボーダーダウン」辺りを試してみて欲しい。最近のゲームの中ではちょうどいい。

「俺が正しい」ことはさほど重要ではない。事実とか道理とか真実とか本質とか、そういうものをまとめて列挙しただけ。個人の自由で世界ごとねじ曲げる権利は、誰にもないはずだ。
これはある種の病だと自分では思う。が、同時にこのクソ馬鹿げた現実の根底に一撃を加えるに足る論理を作るのに欠かせないものでもある。

どうも、根っから戦士として生まれついてしまっているらしいな、こやつは。

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