創作意欲

初音ミクなどヴォーカロイドを用いて書かれた曲、ミクロ関係の改造、その他あれこれ。
とにかくあらゆる事象が、俺の中の意欲を盛り上げてくれる。実際ゲーセンに行ってゲームしているときでさえこれはあって、先日「ハーフライフ2:サバイバー」*1でメディックのカードを作成したときにミクロマンの名前を借りたことがきっかけで「レスキュー隊員用装備をジャンクからでっちあげたら面白いかもしれん」と思ったりしたほど。
その先駆け的な意味で、「ベータミゼット」のノームミゼット(Ver.1)の拳銃を少々加工してM255ワイルダーに持たせられるようにしたり、コトブキヤのシールユニットを使ってバイオスーツ(昭和ミクロの方)に様々なマーキングを付けてみたり、ゾイドブロックスのパーツで武装の追加をしてみたりしている。

自作曲をPCに取り込んで聴けるようにしてあるが、これについても思うことは多々ある。自分でも才能のなさは自覚しているが、それにしたって我ながら面白い曲を書いているな、と思うことも少なからずある。
やり切れていないこともあるし、去年の初音ミク騒動の頃から脳内をずっとぐるぐる回っているフレーズもある。
何より、今日本のミュージックシーンに出回っている音楽のことごとくが俺の興味をまったくそそらない。逆にニコ厨の職人たちが手がける様々なものにこそ、可能性も魅力も面白さも感じている。

世間のトレンドに対するアンテナは低いどころか実装すらしていないが、それ以外の方向にはいいアンテナをつけて臨んでいる。以前「ミスチルが嫌い」と書いた覚えがある。広告費によって操作されたヒットチャートに踊らされる趣味もない。だから別所で「さよならJ−POP」と言ったこともある。その意味を分かることの出来る人とそうでない人とで、今後は「メディアディヴァイド」とでも呼ばれる現象が起こるだろうとも思う。

テレビなどで見かけるプロシンガー、アイドルは特別であり、アマチュアはどんなにいい曲を書いてもテレビに出ている人たちよりは数段低い位置に居る・・・そんな幻想に縛られたままでいられるかどうか。そこにひとつの境界線が生まれてくるだろう。*2
縛られたまま受け手で居続け、既存メディアの権益のための消費者に徹するか、自分からも何かを創作して繰り出し、受け手と送り手の双方向性を持った何者かになるか。
時代は変わった。音系同人の頃から思っていたが、明らかに時代は変わってきた。乗るかどうか選ぶのは自由。そして俺は乗りたい側の人間だ。



やりたいことはたくさんある。面倒も多いが。だが何より一番大きいのは環境。場所が無い。いいPCもない。部屋が狭すぎる。それでいて実家は俺が外に出ることを許さないという意向。30をいくつも過ぎて、自分が何者にもなれないでいることに、大きなストレスとフラストレーションを感じないわけでもない。
だが、突き詰めていけば本当にそんなことはどうでもいい。俺は何かを自分で作りたいだけなのだ。二次創作でも自作曲でも、なんでもいい。とにかく何かしたいとよく思う。
まぁ、そういう話。

*1:いつも思うがこの表記を使っていることにやや疑問がなくもない。洋ゲー由来なのでそれっぽい表記にしてはいるが正しくない可能性がある。

*2:ところで、テレビなどに出てくるようなプロの方々、いわゆる芸能人はどうやって世に出てくるのだろうか。未だにそのカラクリが完全には理解できていない。多様性に制限のある世界を構築する、何らかのカラクリがあるような気がするのだが・・・。