生命の価値

【正論】村上和雄 「いのち」はなぜ尊いのか
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/seiron/29543/
自然界、宇宙全体では「最高傑作」も「最低の駄作」も等しく存在しない。強いて言えばこの宇宙そのものが最高傑作だろうか。

所詮村上氏のこの説話*1も、宇宙全体の歴史の中のわずか一瞬にのみ存在する「地球の人類」程度の存在が生み出した「人間ごときの価値観」の枠を出ていない。その程度で自然界の掟や生命の存在意義を論じるなど思い上がりも甚だしい。
そんなもの、人類の物差しだよ。人間以外の生物にそんなものが当てはまるわけがない。

心が寂しいと思うなよ?

俺に言わせれば、こんな風に定型化されたモノの見方しか出来ない人間ほど「自分たちと異なる存在」に対する理解が出来ていないと思う。
なぜなら、この手の人間は「自分たちと全く異なる価値観・思考回路」を脳内でシミュレートすることしないどころか、そんな思考法を思いつきもしないからだ。
こんな程度の低い頭脳で物事を語られてしまうと、それじゃあもし地球外から知的生命体でもやってきたらどうするんだろうか?それも、文明や文化が全然違う種類の存在だったら?
そもそも、同じ人類同士でさえそのあたりの事情が全然なってないだろう。

俺はかなり前「もしこの世に全能の神がいるとしたら、そいつは地球人ごときにいちいち構うこともしないし、地球人ごときの価値観や世界観など物ともしないだろう」と論じたことがある。この持論は今も変わっていない。

宇宙とか世界というものは、人間ごときの価値観を遥かに上回り、かつ全体スケールにおいて合理的に存在するものだ。所詮人類など、その中のほんのわずかな領域でしかその価値観を共有できない存在なのだ。信じられないのなら、アリかハチの社会構造でも考えてみればわかる。おおよそ人間とはかけ離れていながら、彼らはそこに厳然として実在している。それも恐ろしいほど合理的に!

じゃあ人類はどうしたらいいのか

では、人間もそれに恭順すべきなのか、他に道はないのか・・・これはまた別問題なのさ。
俺は、自然界だの宇宙だののそういう法則の存在を知っている。でも、俺は人間が生み出した様々な価値観や思想、あるいは感情などのものを通じて自分のあり方を決め、それだけに従う。
どうせあちらさん(自然の法則)にとって俺たちなどどうでもいい存在なのだろうから、それならこっちも、あちらさんの法則に必要以上に従わなくてもいいというわけだ。神だろうが運命だろうが俺の知ったことではない、というわけだ。
ただ、物の見方は考えていたほうがいい。人間の決めた価値観や世界観、それらに基づいたルールは、人間同士でさえいろいろな差異によって通用しないくらいなのだから、それ以外の存在に通用するはずがないくらいのつもりでいたほうがいい。
それを前提にして、脳内で「人間の物差し」を外した思考法を用いてみれば・・・面白いように世界観が広がるからおすすめだ。思考実験としては面白いぞ。*2

余談だが、この文を書いていてふと思ったことがある。
書いているうちに、文章や単語の意味そのものが単なる記号に見え始めたのだ。
これらの話も、所詮人間の価値観や世界観だけに基づいて、人間の価値観や世界観だけを記述するための技法に過ぎないということ。
もしかしたら、この世のどこかには人間でない何者かが生み出した価値観や世界観に基づいて、それらを記述する技法が存在しているのではないか。そして、それらは俺たち人間なんかよりも遥かにこの世界の真実を語っているのではないだろうか・・・そう思うと、ちょっと面白くなってこないかい?

・・・俺くらいか、こんな風に思うのは。

以下蛇足。
ウルトラマン」に登場する異星からの侵略者・バルタン星人。彼らは、知性と自我を持ち、20億3千万もの難民を縮小して宇宙船に乗せてくるほどのテクノロジーをも持っていながら、俺たち人間の言うところの「生命」の概念が存在していない。
種族レベルで宇宙の難民となり、その生存圏を手に入れようとしているにも関わらず、である。
決して矛盾しているのではない。地球の人類の理解の外側にあるというだけで、バルタンとは「そういう連中」なのだ。
このような描写を盛り込んだ当時の脚本家や文芸担当には相当なSFマインドと先見性があったに違いない。でなければ天才だったか、それとも人間でないのか、そのいずれかだ。

*1:「説話」である。正直噴飯モノである。

*2:考えすぎに注意。発狂するかもしれない。