「若きウェルテルの悩み」

読了。どうでもいいがこの固有名詞「ウェルテル」を一撃で変換するATOKってのはいったい何なのだ。

もう世界的名作、古典悲劇の代表だからあらすじなど書くまでもなかろうが一応。
感受性豊かな青年ウェルテルは、美しい女性シャルロッテ、通称ロッテと出会う。しかしロッテには優れた能力をもった婚約者アルベルトがおり、自身の叶わぬ想いにウェルテルは悶々とする、というお話だ、ぶっちゃけていえば。
ロッテもウェルテルのことはまんざらでもなく、共感を覚えることも少なからずあり、それゆえ夫との関係との間で少なからず思い悩んでいる、ということで、それが終盤でいよいよ爆発し、悲劇的結末、すなわちウェルテルの拳銃自殺へと雪崩れ込んでいく。

前半はウェルテルが友人に宛てた手紙での独白、後半は編者によるウェルテルと周囲の人物の動向の解説、というスタイルで描かれ、終盤まで読むと、ロッテとウェルテルがお互いに惹かれあっている様子までが見えてくる。
230年も昔に書かれた、これは本格的な不倫文学である。

今回読むに当たって、先にググってみて作品評なんかを2、3読んだのだが、一部にはウェルテルのあまりのエキセントリックさ、合理性や尋常な理性を喪失した様に否定的な感想を持った人もいるようだ。うん、それはまったくおっしゃるとおりだと思う。いくらなんでもバカにもほどがあるよな、ウェルテル。この世のありように喧嘩売りまくりだもの。

さて俺はどう思ったか。
確かに上記の通りの感想を俺も持っている。ウェルテルはもうどうしようもない愚か者として描かれている。自殺なんぞして誰が喜ぶのやら、独り善がりも甚だしい限りだ。俺が通っていた高校の古文の教師も言っているが、「愛する者のために死ぬ」などというのは幻想である。死なれたら相手だって嘆き悲しむだろうからね。
が・・・反面でウェルテルの激情が理解できるのだ。合理的思考も冷静な理性も喪失するほどに狂うその理由が他でもない恋愛だったとして、あまつさえそれが道ならぬものであるとして、どんな法を持ってきてこれを裁き、どんな論理をもってこれを説得しまたなだめても仕方がないのではないか?
それに、それが純粋で強い恋である限り、誰にそれを批判する権利があろうか?

それほど熱烈に、誰かを想い焦がれたことがあるかどうか(あるいはそのような熱を理解しうるか)で、本作への評価、感想は変わるのではないかと思う。ただ、上記のように「冷静さを欠く愚か者の論理」とひとまとめにすることが、少なくとも今俺たちが生きている世界では正しい選択なのだろうと思う。

人の幸せは一概に定義できないが、このような熱意をもって恋をする人間がいることは間違いなく、またそれがとても幸せなことであることは何人にも侵しがたい真実であることもまた間違いないのである、と言い切ってしまってこの話のまとめとするつもりだが、お世辞にもほめられた話じゃあないね。

この矛盾に正解などないが、俺は恋によって愚かになる人間を否定しない。そのことは、この矛盾に満ちた感想文を読んでいればもうお気づきかと。

と感想を述べ終えて思ったことを書き加えておくと、これを読んだ誰かが「これが若さか・・・」とつぶやいてくれるのを少しだけ期待している。うん、本当に少しだけね。ブライトさんっぽく、ひとつ。