ワレリー・ゲルギエフ指揮によるチャイコフスキーの「第5」。

1998年7月のザルツブルク音楽祭のライヴ盤を探しにいったんですよ。するとなんとこれがつい先日リニューアル再販されたんだそうで、迷わず購入。しかしジャケットの怖いこと怖いこと。ゲルギエフという人は見かけ上は強面でヒゲのムサいオヤジだしな。

まず、あちこち速い。
俺はこの曲を無駄に速く演奏されるのが嫌いだ。

それと、不思議なほどに調子の外れた演奏が続く。

だが、しかし。

んなこたぁどうでもいい!

クラシックを聴いていて、初めてそう思った。

チャイコフスキー 交響曲第5番」「ゲルギエフ」でググるとレヴューがいくつかあるが、もうなんというか賛否両論だ。否定意見を見るとこの演奏を下品で粗暴に感じている人もいるようだ。

だがそれがいい

なんだかずいぶん大げさに緩急をつけている。そして、それがもう笑っちまうほどに痛快なのだ。異様に速いかと思えば、聴いたこともないほど遅かったり。たとえば第2楽章の最初の「大打撃」直後のピチカートストリングスのテンポのあまりの遅さ、そしてそこからの急展開でのテンポの上がり方には感心したし、最終楽章の最後、終曲を締める4連弾などはその一撃一撃(という表現が似合いすぎるほど似合う)を強烈に印象づけるように重厚に「決め」てくれる。やりやがった!と思わず叫んでしまったほどだ。

このかっこよさがたまらん!

なんというか、冷静沈着な正確無比の技巧ではなく、総員総出で熱意、熱気を楽器と楽譜に叩き付けるような、暴力的な演奏。もうなんというか、要所要所で音が外れてさえいる(注:本当に外れたりする。金管が息切れしているかのような場面も!)のだが、そんなことにもおかまいなしでフルブーストでぶっ飛んでいく演奏。これはロックやメタルのライヴの熱狂に近い。

俺は聴いてはならないものを聴いてしまったんじゃないだろうか。俺が信じてきた「第5」のあり方の真逆に存在する、最強無比の演奏。俺が好きではないスタイルのはずなのに、聴いていて痛快、爽快なのだ。聴く暴力、熱血の交響楽。愛すべきオルタナティヴ、灼熱のアストレイ。邪道であり外道の演奏だが、それがまたいいと思える部分がある。こんなものを生で聴けた人は幸せだったに違いない。

なるほど、センセーショナルな演奏と言われるだけのことはある。なんというか、常識外の演奏なのだ。形式張った堅苦しさは一切なく、ひたすらに燃えて燃えて燃えまくる演奏。どうもその後も何度かこの曲をやっているらしいし、ついでに言うと来月中旬に来日するという。俺は直接聴くことはできそうにないが、出来れば是非ライヴ盤をリリースしていただきたい。もしかすると、また違った形での「燃える第5」の形を耳にすることが出来るのではないかと期待しているのだ。

しかしまぁなんというか、再販にあたってのコピーの「炎のカリスマ」ってどうよ?なんか「カリスマ」ってあたり今時っぽいけど、それに「炎」って単語がつくとなんだか凄まじいイメージが・・・いや実際凄ぇんだけどさ。解説でも「明日のことも忘れてしまったような熱っぽい演奏」などと表現されているし。このゲルギエフ×ウィーンフィルという組み合わせ、侮れない。